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2015年2月27日 (金)

秘密保護法と四十七士

 

赤穂浪士討ち入りの日(1703年1月30日)は雪だった という文章をこのブログに書いたら、秘密保護法違憲訴訟の支援者からメールをもらった。短い文面だったが印象に残ったので書き留めておきたいと思う。

 まず、そのブログ記事(2015年1月30日付)を再掲する。

 1月30日、東京では朝から雪が降り続いている。そういえば、1703年の1月30日(元禄15年12月14日)深夜、赤穂浪士が討ち入りした日も江戸は雪だったと伝えられている。

 朝から降り続く雪を見ていたら、ふと赤穂浪士の討ち入りのことを思い出したのである。西暦では本日1月30日深夜だからだ。(追記:たぶん1月31日午前4時ごろだったと思う)

 時代も社会も今とは大きく異なるから何ともいえないが、意を決してなにかを実行する局面は、誰の人生にも訪れる。

 今やらなければ、自分の人生にも子孫にも、日本にも大きな禍をもたらすことがある。

 人それぞれだが、今の私にとっては、フリーランス表現者の仲間42人とともに提起した「秘密保護法違憲訴訟」http://no-secrets.cocolog-nifty.com/blog/もその一つだ。目の前にある課題を一つ一つ解決していきたい。

□その時、そこにいるのが志士

 もらったメールというのは、手元に残っていないので記憶にしたがって書く。

≪林さんのブログを読んで思い出したことがあります。故・上田哲先生(衆院議員・NHK労組委員長がよく言っていたことです。

 いろいろ意見が違ったり、全然立場の違う人たちでも、一つの目的のために、「その時その場にいれば」四十七士だ。

 反対に、共通の価値観を持ち、近い人であっても、そこにいないで48人目ならば四十七士ではない。

 秘密保護法違憲訴訟も、こういうことかもしれませんね≫

 受信したメールには、以上のようなことが書かれていた。短い文面だが、私は考えさせられた

 

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