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2011年1月21日 (金)

フジTV産経新聞と17年闘う男 松沢弘元論説委員が語る産経残酷物語(前)

 19941月、フジテレビ・産経新聞を軸としたフジサンケイグループに属する日本工業新聞社(現紙名=フジサンケイ・ビジネス・アイ)の松沢弘論説委員は、御用組合の産経労組に見切りをつけ、マスコミ界初の合同労組「反リストラ産経労」(労働組合・反リストラ・マスコミ労働者会議・産経委員会)を結成して委員長に就任した

 対する会社は、27回も団交を拒否し、同年9月に松沢委員長を懲戒解雇した。それから17年。経営側と御用労組のどちらにも属さず、日本で本当の労働組合活動を行うとどうなるのか、松沢氏のケースから日本の労使関係の実態が浮き彫りになる。

   解雇以来、およそ17年間、不当解雇撤回などを訴えて闘っている松沢氏が、事件の一部始終を語った。

松沢氏個人が96年に解雇無効の確認を求めて東京地裁に提訴した訴訟では、02年に、解雇無効の全面勝利判決を得たが、高裁で逆転敗訴、05年に最高裁もそれを追認した。反リストラ産経労は94年に東京都地方労働委員会に不当労働行為救済を申立てていたが、都労委は13年近くも放置した挙句、最高裁での敗訴を待っていたかのように06年に申立を棄却。中央労働員会もそれを容認した。

 そこで、反リストラ産経労は081118日、中労委の不当命令取消しを求め、国を相手取って行政訴訟(訴状PDFダウンロード可)を起こした。しかし、東京地裁は2010930日、組合側敗訴の不当判決を言い渡した。反リストラ産経労は、直ちに、東京高裁に控訴。201128日、第1回の口頭弁論が開かれる。

 

 

 筆者が松沢氏と出会ったのは089月、東京文京区のトヨタ自動車東京本社前だった。国軍による暗殺の危機にさらされているフィリピン・トヨタのエド=クベロ委員長が抗議していた。多くの支援者に交って「フジテレビは争議を解決しろ!暴力総会をやめろ!」と書かれたプラカードを持っていた人物が筆者の視界に入ってきた。それが「反リストラ産経労」

を率いる松沢弘委員長(64歳)だったのである。 

 

「ようやく私も、闘いと生活が一体化しはじめてきました」
 丸顔に笑みをたたえて、穏やかに語る松沢氏は、超御用組合と会社が一体となって、社内改革者を抑圧しつづけるフジテレビ・産経新聞を軸としたフジサンケイグループと17年間も闘い続けている男とは思えない穏やかさだ。トヨタ東京本社前の出会い以来、2年以上の間、松沢氏の行動と思いを追い続けてきた。

 

 控訴審第1回口頭弁論を前に、過去50年余にわたる産経残酷物語の一端を本人の肉声で徹底的に語ってもらうことにした。

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