フジTV産経新聞と17年闘う男 松沢弘元論説委員が語る産経残酷物語(前)
1994年1月、フジテレビ・産経新聞を軸としたフジサンケイグループに属する日本工業新聞社(現紙名=フジサンケイ・ビジネス・アイ)の松沢弘論説委員は、御用組合の産経労組に見切りをつけ、マスコミ界初の合同労組「反リストラ産経労」(労働組合・反リストラ・マスコミ労働者会議・産経委員会)を結成して委員長に就任した。
対する会社は、27回も団交を拒否し、同年9月に松沢委員長を懲戒解雇した。それから17年。経営側と御用労組のどちらにも属さず、日本で本当の労働組合活動を行うとどうなるのか、松沢氏のケースから日本の労使関係の実態が浮き彫りになる。
解雇以来、およそ17年間、不当解雇撤回などを訴えて闘っている松沢氏が、事件の一部始終を語った。 松沢氏個人が96年に解雇無効の確認を求めて東京地裁に提訴した訴訟では、02年に、解雇無効の全面勝利判決を得たが、高裁で逆転敗訴、05年に最高裁もそれを追認した。反リストラ産経労は94年に東京都地方労働委員会に不当労働行為救済を申立てていたが、都労委は13年近くも放置した挙句、最高裁での敗訴を待っていたかのように06年に申立を棄却。中央労働員会もそれを容認した。
そこで、反リストラ産経労は08年11月18日、中労委の不当命令取消しを求め、国を相手取って行政訴訟(訴状PDFダウンロード可)を起こした。しかし、東京地裁は2010年9月30日、組合側敗訴の不当判決を言い渡した。反リストラ産経労は、直ちに、東京高裁に控訴。2011年2月8日、第1回の口頭弁論が開かれる。 筆者が松沢氏と出会ったのは08年9月、東京文京区のトヨタ自動車東京本社前だった。国軍による暗殺の危機にさらされているフィリピン・トヨタのエド=クベロ委員長が抗議していた。多くの支援者に交って「フジテレビは争議を解決しろ!暴力総会をやめろ!」と書かれたプラカードを持っていた人物が筆者の視界に入ってきた。それが「反リストラ産経労」 を率いる松沢弘委員長(64歳)だったのである。 「ようやく私も、闘いと生活が一体化しはじめてきました」 控訴審第1回口頭弁論を前に、過去50年余にわたる“産経残酷物語”の一端を本人の肉声で徹底的に語ってもらうことにした。 マイニュースジャパン記事へ http://www.mynewsjapan.com/reports/1361
丸顔に笑みをたたえて、穏やかに語る松沢氏は、超御用組合と会社が一体となって、社内改革者を抑圧しつづけるフジテレビ・産経新聞を軸としたフジサンケイグループと17年間も闘い続けている男とは思えない穏やかさだ。トヨタ東京本社前の出会い以来、2年以上の間、松沢氏の行動と思いを追い続けてきた。
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