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2008年7月31日 (木)

超高層ビル建設を禁止せよ

 昨日7月30日、ある出版を祝う会に出席するため、飯田橋の後楽園内にある「涵徳亭」を訪ねた。緑の日本庭園の一角にある日本家屋の「お休み処」はすばらしかった。おもわず窓から庭園を眺めたが、そこに水道橋駅前に建つ超高層ホテルが眼に入ってきた。

 これで一機に興ざめである。このお休み処は、ちょっと高級で落ち着いた雰囲気。それでいて、あまり気取らず庶民的な趣もある。バランスがいいのである。

 そのバランスを突き崩し、がっかりさせたのが、超高層のホテルだった。街並みや風景は人間にとって大切で、それによって自身が所属する社会に愛着をもつこともできる。空間を美しくし、そこで日常を過ごす重要性がないがしろにされている。

 京都駅にとんでもない巨大ホテルをつくってみたり、後楽園の風景をだいなしにするホテルを建設してみたり、東京国立市の桜並木をこわす高層マンションを建設してみたり、丸の内ビルジングを破壊してとんでもないみっともない超高層ビルをたててみたり・・・・。

 日本中にある公民館系の建物も、白と灰色の二色プラス味気ない蛍光灯。アイボリーや茶色をつかったり、部分的に電燈色の照明を使うなど金をかけなくてもできるはずなのだが。

 個人レベルでも、日本家屋が多いところにアーリーアメリカンスタイルのこじゃれた住宅をたててみたり・・。町の美しさと落ち着きを尊重しない人も多い。

 ああ・・もうなんとかしてほしい。政治変革や社会変革も大切だが、もっと日曜空間を美しくすることを真剣に考えるべきだ。そういう空間で育つ人間と、さつばつとした風景や空間で育つ人に違いが出るはずである。

 少なくとも超高層ビル建設を原則禁止し、既存の超高層建築も改造時に解体したらいいと思う。物質主義、拝金主義、合理主義、自然破壊の象徴としての超高層ビル。これら決別したいのだ。物質・金・合理は必要なものだが「主義」となると間違いを犯す。

 こういうのをやめて、高さ制限を百尺にしたらいい。都市の風景という外形、形がかわることによって中身も変わっていく。型から入って中身が変わる文化が日本にはあるではないか。

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