迷惑サミットの閉幕と市民メディア
開催そのものにかけた膨大な税金、過剰警備にかけた膨大な血税。そのわりに何もなかった北海道洞爺湖G8サミットが本日2008年7月9日に終わる。テレビや新聞は一生懸命報道するが、正直にいってつまらなかった。それよりも大マスコミとは違う市民メディアのほうが私には面白かった。
とくに長時間にわたってサミットを報道していたのはNHKだった。公共放送だから報道する義務があると主張するのだろうが、私から言わせれば、視聴者(私)から金をとっておきながら、私から金を巻き上げる人たちのイベントを無批判に延々と放映していた。「私から金を巻き上げる人たち」というのは、たとえば日本政府のように政策的(つまりわざと)に貧乏人を大量生産していることなどを指す。
その一方で、まだ日本では定着はしていないが、市民メディアへの期待が高まっている。たとえばG8メディアネットワークがある。デモで参加者が逮捕される前後の映像とか、けっこう大切な場面を伝えている。
大手マスコミは、支配者の視点で報道する傾向がはっきりしている。記者クラブで便宜をはかられているし、放送局は免許制だから免許を取り消される恐れもある。そのほか、マスコミ正社員が一般庶民(より正確には労働者階級)とはかけ離れた豊かな暮らしをしていることもあって、視点が支配者と同じレベルになりやすい。
これに対して、市民メディアは、大手マスコミという組織とは違う視点から目線を低くした報道が多い。たとえば、権力に反対する人たちの視点からの情報伝達だ。いってみればデモをやる側から世の中を見る。
前述したG8メディアネットワークの映像・写真・記事を見てもらえばわかるとおり、一般の新聞やテレビで伝えない要素がたくさんあるので私には面白い。違う視点から伝えることも大切だが、「面白さ」も欠かせない要素だと思う。
市民メディア、市民ジャーナリストの定義はなにか。そんなものはない。ただ、活動家兼ジャーナリストもいれば、私のようにフリーランスもいる。考えてみれば日本で新聞が発達しはじめた明治時代、ごろつき記者もいたが、新聞記者の多くは自由民権活動家だった。
既存のメディアに対して、庶民の立場から報道を、とか権力を監視してほしいというのは、おそらく無理だろう。だから第二マスコミとしての市民メディアを広めていくべきだ。そのなかのいくつかは採算のとれるものにしなければならない。
ツールとしてはインターネットということになるが、これに加えて私は、非インターネットの言論、紙媒体や講演会・集会などの人と人がふれあうライブ言論も同時に進めていきたいと考えている。ライブ言論は「第二言論の結集」にも通じる。
さて、やることがたくさんあって大変だが、がんばろう。
お知らせ 明日は「スピリチャルブームの問題点」(講演会)です。
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