大阪 釜ヶ埼と西成署の暴行
大阪の釜ヶ埼の暴動が、昨日の時点では終息に向かっているようだ。現地を知る人からの報告によると、労働者を西成署3階の部屋に連行し、刑事がよってたかって顔面を殴り、縄で首を絞め、両足を持って逆さづりにした・・という。西成署は暴行を全面否定している。
さっき編集者と電話で話していたら、きっかけとされる”暴行事件”そのものを確かめるために、フリーの記者が現地に向かったという。その報告を期待したい。
ここ何日かの出来事を見ていて、私は他人ごとではないと思う。貧乏なフリーライターなど、困窮生活の一歩手前であり、日雇い労働者たちは仲間だ。日本全国でも、他人事じゃないとおもう人はたくさにるはずだ。
日雇派遣、パートなど、不安定でいくらまじめに働いても貧困から抜け出せない。そういう中高年と若者が増えているのはいまさら言うまでもない。釜ヶ埼周辺に若者が集まって、”暴動”にも参加したという。
遊び半分で来ている、野宿者を襲撃したことのやるような若い奴らだ、などという情報も入っているが真偽のほどはわからない。駆け付けた若年層が「俺たちと同じじゃないか」と日雇い労働者に共感しているかもしれない。
ならば釜ヶ埼で活動している人たちが、外から来た若者に語りかけることがポイントになる。
◇恨みではなく、もっと怒りを!
日本の人はおとなしい。釜ヶ埼の労働者のことを西成署の警官たちは「450」(よごれ)と呼び捨てるという。ここの労働者にしろ東京の山谷にしろ、人間扱いされているとはとてもいえない。それなのに、よく我慢している。
非正規社員、派遣、パートたちも、者のように使い捨てられる。うっ屈するのは当然で、内向きになっている人が多い。
しかしそれでは孤立し、自分自身をさらに傷つける。恨みではなく、怒りをもっと表現すべきだ。その点で今回の労働者たちは、私はある意味で健全だと思う。より弱い者にストレスや怒りを向けるのではなく、日ごろ自分たちを馬鹿にし、ぞんざいに扱う警察署に対して怒りを向けているからだ。
これこそグローバルスタンダードではないか。世界中をみてほしい。アメリカ産牛肉輸入問題で巨大デモを起こして政府を窮地に陥らせた韓国、デンマークやベルギーのストライキ、燃料高騰に抗議してトラック運転手たちが国境を封鎖したスペイン・・。この春に港を封鎖して軍物質をはこべなくしたアメリカ西海岸の労働者たち・・。世界的にみれば、今回のことは特別にめずらしいことではない。
◇動けば変わる
「こういうこと(暴動)では、何の問題の解決にならない」とのコメントをテレビで聞いた。私からいわせれば「こういうことがなければ全く世の中は変わらない」のだ。
政治家や官僚などが進んで人々のためにいいことをすることなど、ありえない。常に、大衆・士民が立ち上がった結果、どうしようもなくなって知識人たちが動き、マスコミが重い腰をあげ、最後に政治が多少変わる。
「・・・問題の解決にならない」というコメントを聞いて私は、作家の逸見庸氏がノーム・チョムスキー氏にインタビューしたことを思い出した。
イラク戦争初期のことだが、プレイボーイ日本版にそのインタビューは掲載された。逸見氏は、「かつてベトナム戦争のときは、知識人やジャーナリズムが戦争批判をしたではないか」と問いかけた。
するとチョムスキー氏は、「そんなことは歴史上、なかった。メディアや知識人が戦闘にたって反戦を唱えたことなどい。市民・大衆運動が爆発し、どうしても無視できなくなってから、反戦かのようなポーズを取り始めたにすぎない」
正確ではないが、およそこのようなやり取りが二人の間であった。これは、ベトナム戦争当時のアメリカだろうが日本だろうがフランスだろうが、どこも基本的には同じはずだ。
庶民が怒って行動を起こさなければエリートたちは、何もしない。
だから、安いガソリンを買おうとスタンドに列をなすよりは、国会前に列をつくったほうが結果が早くでる。街頭デモのほうが効果がある。
とくに、今後、自民党と民主党という考え方が近い集団による二大政党制が進むと、大半の民意は無視される。そうなると、ますます国会外の大衆運動・士民j運動が重要なカギを握る。
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