ZAKI「憲法9条は自分にとって、丸腰武士道そのもの」
自給自足ミュージシャンZAKI(ざき)というと、少し前にはやったロハス的な印象を受ける。しかし、この人はもっと骨太である。それを示す文章が「憲法9条と丸腰武士道」である。
◇心の中の境界線を突破した先の世界
ZAKIのブログ野生化の時代http://zaki.seesaa.net/でその文章を見つけた。核心は下記の部分にあらわれている。
《これは自分の解釈なんだけれど、武士道とは、自分の死を越えた行動 学の世界なのだ、と言うことです。自分の死を恐れている内は出来ないことが、死を受け入れた時から色々出来るようになる。死の恐怖に抑えられていた、色んな潜在能力が湧き出して来ます。心の中の大きな境界線を突破した先の世界》
武士道とは、武士たちの倫理・哲学・行動規範の体系であると言っていいだろう。日本では約7世紀もの間、武士が実質的支配者であったことから、この思想は知らず知らずのうちに、日本に住む人びとや社会にある程度浸透している。好むと好まざるに関係なく。
しかも、これだけ長期にわたって武士というものが存在してたのだから、時代によって、その内容や捉え方はかなり変遷している。私の感覚では、時代が新しくなるほど(特に戦国時代が終わって江戸時代になると)、よりイデオロギー的、精神的になる。
しかし、根幹をなすものに、先に引用したZAKIの言葉がある。
実は、日本国憲法第9条を考えるとき、私の目の前に姿を現すのは、武士道的なるもの、なのだ。実際はもっと複雑なのだが、簡単に言うとこういうことになる。私にとっては、青空に浮かぶ白い雲、輝く陽光のなかで風船を掲げながら「憲法9条を残そう」とパレードする、という感じではまったくないのだ。
◇「あなたは、9条のために死ねますか?」
イラク戦争が始まった2004年のことだった。チェチェンで知り合い、世界中の紛争地帯で反戦行脚をしてきた日本山妙法寺の寺澤潤沢上人を囲む会があった。
ちょうど寺澤師は、戦争を回避するために世界各地を縦横無尽に走り回り帰国したところだった。そのときの話だけでも、一冊の小説以上のドラマがあるのだが、そのことは今おいておこう。
寺澤師は、「9条を守り戦争を防ぐために死ねますか」というようなことを集まった人たちに問いかけたのだ。
もちろん、いま示したような直接的で強い言葉で彼が話したわけではない。だが、彼が言わんとしたことは、それぐらいの覚悟がいるということだった。
私は実際に、人口の約20パーセントが殺されるチェチェンで彼の行動を見てきた。別の場所での行動も知っている。それだけに、いざとなったら、この人は戦争に反対して前に進んでいくのではないか、と”感動と不安”の気持ちを持った。
今回とりあげたZAKIの文章野生化の時代http://zaki.seesaa.net/を読んで、そのときのことを思い出したのである。
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