国旗国家強制と唱歌「故郷」
日の丸掲揚と君が代斉唱に従わない教師を東京都教育委員会は処分してきた。このような懲戒処分の禁止を求めた訴訟の判決が9月21日に東京地裁であった。
思想・良心の自由の侵害であることは言うまでもないが、『故郷ふるさと』を国歌に制定すべきだという私の考えからしても、妥当な判決だと思う。
いま、東京都の公立学校の入学式や卒業式には、教育委員会の人間が”スパイ”として送り込まれている。
国旗を掲揚しているか、起立しているか、君が代を声を出して歌っているか。これを監視するためである.。まるで独裁国家だ。
とくに東京都では、処分の件数が突出している。精神的苦痛で、仕事ができなくなっている教師もいる。苦痛に感じる生徒の保護者も多い。
今回の判決で重要なのは「日の丸・君が代は第二次世界大戦終了まで、皇国・軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことがあり、現在でも国民の間で中立的なものと認められるまでには至っていない」と認定されたことだ。
【安倍政権の反撃が始まる】
今回の判決で、国家主義の押し付け=個人の思想信条の自由の抑圧に歯止めがかかったのではないかという意見も多い。
しかし、だからこそ安倍政権は、いっそう教育基本法改悪を推進しようとするだろう。昨日の判決は、憲法違反と指摘したのみのとどまらず、現在の教育基本法に違反しているという認定もなされたからである。
日の丸・君が代問題は、強権的国家主義を押し付ける風潮のシンボルだ。これに対して、国の最高法規=憲法が定める思想・良心の自由や、近代的民主主義、言論の自由をかかげて反撃することは間違っていない。
だが、それだけで事足りるだろうか。「自由と民主主義と言論表現の自由」という言葉に象徴される思想は、主として第二次大戦後に日本で広まるようになった。
それ以前から何百年にわたって培われてきた日本独特の感性や情緒、庶民の間ではぐくまれてきた精神が存在するのである。それを基盤に、政府の戦争政策、治安管理強化、軍国主義に対抗すべきだと私は考える。
【故郷を国歌に】
日本には、『故郷(ふるさと)』という歌がある。結論から言えば、この歌を国歌に制定するくらいの気構えが必要ではないのか
一、 兎(うさぎ)追いしかの山
小鮒(こぶな)釣りしかの川
夢は今もめぐりて忘れがたき故郷(ふるさと)
ニ、 如何(いか)にいます父母
恙(つつが)なしや友がき
雨に風につけても
思い出ずる故郷
三、 志をはたして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷
(詞・高野辰之 曲・岡野貞一 1914大正3年尋常小学唱歌)
この歌から感じとれるものは、家族や故郷を愛し、穏やかな生活だ。この歌を聞いたり口ずさむと、生まれ育った故郷や共同体を大切の思う心情が増してくる。
これこそパトリオティズムではないか。愛国主義と訳されるが、ここには富国強兵策で軍事力を強化し、力による外交で諸外国を威嚇する思想はないし、他民族や他国をないがしろにする排外的国家主義の要素はない。
素朴なパトリオティズムだ。ある評論家は愛国心(あいこくしん)ではなく「あいくにしん」と名づけているくらいだ。
【崩壊する共同体とパトリオティズム】
そもそも、国旗も国歌も必要ないという意見もある。わからなくもないが、人は最後に頼れるものを求めている。自分が立つ土台・心の拠り所がなければ不安感を覚えてしまう。
いまその不安感が、中国や韓国を敵視し、市民リベラリズムを敵視する国家主義にむかっている。
家族の絆が希薄化し、隣近所のコミュニティも崩壊、会社と争っていても労働組合が助けてくれるとも限らない。安心して語り合い助け合う共同体(一体感)が、急速な勢いで崩壊している。
その不安感を解消するために、故郷・パトリオティズム・愛国(あいくに)心・共同体を飛び越えて、国家主義(ナショナリズム)に流れている。個人と国家が直結し始めているのだ。
【抵抗の礎】
それを防ぐためにも、『故郷』という歌から感じられる感情を土台にした素朴なパトリオティズムを大切にしなければならない。
戦争と国家主義の危機から日本を救うために、世界に冠たる永世中立憲法を礎にすることも可能だ。そこから拡大して、基本的人権の尊重や言論思想、表現の自由を獲得することも必要だろう。
しかし、これらは理念であり、理知や叡智に属することがらだ。知性や頭脳による理想主義である。私はこれだけでは納得できない。
情緒・感情・こころに訴える精神的支柱がほしいのである。私にとっては文部省尋常小学唱歌『故郷』こそ、心の支えであり、戦争と国家主義に抵抗する礎なのである。
【私だけの国歌】
非ヨーロッパ圏で最も近代化されているのは日本である。だから古くから伝わる伝統と近代主義が社会のなかに混在している。
その両者を融合させなければ日本の未来はない。難しいが、どちらか一方では破綻すると私は考えている。
素朴なパトリオティズム(はばひろい日本文化の土壌)を土台にしたうえで、ヨーロッパ発祥の人権思想や民主主義、近代主義などを適宜政策化していく。
そうしていくしか日本が生き延びる道はないのだと思う。そのためのシンボルとして”私だけの国歌”=『故郷』を大切にしていきたい。
参考 「チェチェン未来日記」純正パトリオティズムの悲劇第7回
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